fragments@my passion

情熱のかけらの記録

小型スピーカー製作中の与太話

~スピーカー製作中の与太話なのだよ~ 2011年12月頃記

f:id:unison3:20191126221451j:plain

AUDIO SPACE AS-6i / 300B パラシングルアンプ (しばらくお世話になった後で売却したです。これプッシュプルではないですよ)


プロローグ
ステレオ装置とのつきあいは中学生の時に父が買ったSONYの4ch方式のものが最初だった(1970年代ですな)。さほど裕福な家庭ではなかったので、それまではレコードプレーヤーにスピーカーが内蔵されているポータブル型で、お子様向けのフォノシートや45回転のドーナツ盤の歌謡曲とかを聴いていた。ただ、何故か祖父が集めたという浪曲や落語、クラシックの分厚い72回転レコードも十数枚あって、蓄音機で聴いていたのだろうが機械は残っていなかった。小学生の頃、一節太郎の「浪曲子守歌」を初めて聴いたときは、何故かおかしくて大笑いした記憶がある。

祖父は道楽者だったのか、空気銃やら何本もの大型ナイフ(当時は小刀というのか)や釣り道具等を小学生の孫に見せては、煙管を咥えながら、明治~昭和期の昔話をよくしていた。男の子なら誰でも憧れるように、モノとしての銃の重く精悍な造形には興味が尽きず、隠れて弄ったり、ツヅミ弾をいくつか拝借して友達に見せびらかした記憶がある。小刀もいつしか山遊びの供に拝借して、鉈のように使ってボロボロにしてしまった。

母方の祖父も釣りが好きで、良く我が家まで遊びに来ては、小学生の僕を一緒に釣りに連れて行ってくれた。鮒釣り用等の(今では相当高価そうな)継竿を何本も持ってきては、ほとんどを置いたままにして、僕や弟が勝手に使ってだめにしてしまった。これらの幼少の記憶が後の自分の趣味に影響しているかもしれないと思うと、自分の子供達にどれほどの興味の種を植えてやれたのかと少し後悔する。

SONYのステレオはもう型番も忘れてしまったが、綺麗なカタログを眺めてわくわくしながら到着を待っていた記憶がある。MQ-100 か HPS-600 だったのか、FM/AMの付いたレシーバアンプ部には、リスニングポジションを設定する縦横のレバーが付いていた。これにレコードプレーヤーを組み合わせて、横65cm、高さ50cm位のボックスにセットしていたものだった。

やけに大きく重いもので、父と一緒に設置に苦労したように憶えている。スピーカーは4ch(SQデコーダ方式)なので4個あり、別売り品を選んで組み合わせたと思う(そういう販売方式だった)。このシステムで初めて聴いた4chの音にはとても感動した。4ch体験用の付属レコードだったが、音が部屋中をぐるぐる廻って聞こえたのは新鮮な驚きだった。このステレオでは、「瀬戸の花嫁」なんかの歌謡曲から洋画のサウンドトラック、フォークやアメリカンロック、ジャズ、クラシックのレコード、ラジオ放送など高校時代までずいぶんお世話になった。大学2年頃まであったと思うが、父は壊れたといって、いつしか実家から消えてしまった。

大学時代
f:id:unison3:20191129064352j:plain大学は実家を離れて一人暮らし。テレビは親戚からもらい物の白黒(^ ^;) があったので、入学祝いにステレオを買ってもらった。PIONEERの単品を組み合わせたシステムコンポで、アンプ、レコードプレーヤ、FM/AMチューナー、スピーカーのセット。大学生協の取り扱いで新入学生向けに割引販売していた。これに(日立)Lo-Dのカセットデッキ D-7500 を追加したシステムだった。

ラジオは感度よく聴きたかったので、アパートの玄関通路の鉄柵に3.5m程のポールを括り付け、小型のFMアンテナを大家に無断で取り付けた。当時は音にもそれほどこだわりが無く、そこそこいい音と思い込んでいたが、スピーカーはフロア型で少し大きく、1年程で友人に譲って取り替えた。代わりに購入したのは DENON SC-101。秋葉原まで友人と買いに行き、何本も聞き比べて、AR(Acoustic Reserch)の小型のものと悩んで選んだものだった。一人暮らしのワンルームにはちょうど良い大きさで、音もとても気に入っていた。実はこの時期に SHURE V15 TypeⅣ を高校時代の友人からタダでもらう幸運があって、このカートリッジで聴いた音が、僕をオーディオにこだわらせる原因になったかもしれない。

f:id:unison3:20191126214410j:plain

その後アンプをサンスイAU-D607、カセットデッキも(Lo-Dは友人に譲り)サンスイの SC-77 でアンプとデザインを揃えた。一時期はギターの録音やFMエアーチェックにAKAIのオープンリールデッキも使っていたが、学生の身分なのでアルバイトで買える程度の浅いオーディオ沼で、ウェスタンやアルテックのホーンスピーカー、セパレートアンプ等は高値(?)の花だった。(といいながら、アコースティックギターエレキギターギターアンプ、エフェクタ類にはアルバイト料を注ぎ込んでステレオ装置以上の出費をしていたように思う。)

学生時代は友人とのレコードの貸し借りもあって、ロック、ポップス、フォーク、ジャズ、ブルーグラス、クラシックと何でも聴いていたが、特にクロスオーバー(=フージョン、今時ではスムースジャズ?)の商業期だったようでハマっていた。高校までは当時全盛だったフォーク等も良く聴いていたが、大学時代は特定の日本人ギタリスト以外はほとんどが洋楽だった。だが、ギター弾きの友人が熱烈なファンという、"カルメン・マキ&OZ" だけは別で、何度かライブコンサートに連れられているうちに好きになってしまった。あるライブでは(たしか女子大の文化祭での公演だったと思う)、隣にいた女の子が、マキが登場してから最後まで、立ちながらずっと泣いていたのが印象に残っている。ちょっと不気味だったんですけど...多感な年頃ですからねぇ。

僕の住んでいたアパートは学生専用の共同下宿で、6畳ワンルーム(バス、トイレ付)が8部屋の建物だった。入学時に新築されたものだったので、最初の入居者は全員同級生だったが、1年後に2学年上の先輩、2年後に1学年下の後輩2人と3人が入れ替わった。当初からの同級生5人は卒業間近まで仲良く一緒だった。ほぼ全員ステレオを持っていて、それぞれ違うメーカーのアンプやスピーカーを使っていた。

f:id:unison3:20191129063623j:plain

新入居した先輩が使っていたのが ONKYO M55 で、これで"山崎ハコ"や"りりぃ"とかの沈んだ歌を夜に大音量でかけるものだから、僕や同級生の顰蹙をかって、みんなで「ぶん殴ったろか!」とよく怒っていた(笑)。そのうち、マージャン仲間になって仲良くなったのだが、本人は周りに迷惑をかけていたことなど全く知らなかったと言う。この先輩が卒業するときに、同郷の友人(麻雀の弱い東大生だった!)が使っていたという綺麗な YAMAHA NS-10M を譲り受けた。卒業時の廃品回収みたいなものだが、僕も卒業時には、後輩が記念に欲しいというので SC-101 を譲ったので、使ってなかった NS-10M が手元に残ることになった。

独身時代~結婚
社会人になっても一人暮らしで、独身時代はオーディオ不遇の時代だった。一応、ひととおりのシステムは組んでいた。でも、あまり情熱も投資もかけられなくて、ほとんどが普及価格帯のもので音に拘るという程ではなかった。大学卒業後まもなく発売された初代 NEC PC-9801 の購入以降、パソコンに情熱が傾き、次々にPC機器を買い換えたり自作したりと、オーディオ熱はどこかへ置いてきぼりだった。

結婚を機にオーディオ類を一揃い更新し、アンプを ONKYO A-917、チューナーを SONY ST-S333ES、カセットデッキを A&D GX-Z9100、スピーカーには妻がボーカルがいいのをというので SONY SS-A5 を購入したが、新生活の準備で家財を揃えながらだったので、それほどお金をかけられなかった。

CDプレーヤは不調になりやすく、PhilipsDENONSONYYAMAHA と何台か替え、古くても一番音が良かった CDP-555ESJ だけは今でも使える状態になっている。結婚後は仕事も忙しく、子供も生まれるとカメラやビデオ、アウトドアや渓流釣りにもはまってしまい、オーディオ熱の再燃はまだまだ先のことだった。

中年時代?

f:id:unison3:20191126222149j:plain

子供の撮影を言い訳に銀塩カメラに結構投資をしたのだが、デジタルカメラへの移行が急ピッチとなってきた頃、子供のサッカーを撮影するにもデジタルが有利と、それまで収集し愛用していたコンタックスキヤノン銀塩カメラとレンズを惜しみながら処分し、CANON D60を発売と同時に購入したことから、デジカメ沼と(AF)レンズ沼にはまり込んでいった。特にレンズ沼がズブズブで、銀塩カメラでわかっていたのに、何本ものレンズを購入しては売却を繰り返して、Lレンズや望遠サンニッパと増えていった。

フィルムスキャナーやライトボックス、ルーペ類は今でもあるが、寂しくしまわれたままだ。同時にオーディオはまたも放置状態になった。一眼デジタルだけでは不便なので、コンパクトデジタルも揃えたが、それらが半年~2年程で新製品を出してくる。その上、RAW現像や写真のレタッチ、ビデオエンコード、保存用にとPCの性能も求めるので、環境を維持するのもたいへんだった。

しかし子供達のサッカーの試合を撮った写真をBGM付のスライドショーにして、CDやDVDに焼いてご父兄に進呈すると、『泣きながら覧ました!』とお礼を言われる。オーディオは個人的な満足だが、カメラやレンズへの投資で得られる写真そのものは、記憶を記録し感動を伝えるプライスレスな価値なのだと嬉しく思うのだった。

f:id:unison3:20191129062836j:plain

二男が中学生になってサッカーの撮影がやや少なくなってきた頃から、オーディオの更新も少し考えるようになった。まずは不調になってきたアンプを PIONEER C-90a と M-90a の組み合わせに変更。いずれもかなり程度の良い中古で完動品だったが、出てきた音にはさほど感動しなかった。同時期に NEC A-10 IV のメンテ済みの綺麗な品を格安で入手したところ、切れの良い素晴らしい音に感動し、M-90a は売却して A-10パワーアンプとして暫く使っていた。また、昔集めたレコードを聴きたくて、レコードプレーヤも綺麗な Victor QL-Y55F を中古で手に入れたが、以前に使っていた PIONEER PL-50L の方が音が良かったように思えて手放したことを悔やんだのだった。スピーカーも昔懐かしさで、程度の良い CORAL X-Ⅲ を入手したが、中高音の良さに比べて低音がもの足りなく、ほとんど使われずに物置に鎮座している。

f:id:unison3:20191126215241j:plain

昔から興味があった真空管アンプを入手したり、オーディオ類を製作しはじめたのもこの頃からだった。その後も壊れたチューナーやCDプレーヤを更新したり、大学で一人暮らしする長男用に真空管プリアンプや真空管ヘッドホンアンプ、スピーカー等を作ってステレオ一式揃えたりする中で、無駄になった買い物も多かったが、オーディオは自分の耳で聴いてみないと良さ(相性)がわからないから仕方ない。今では、ソリッドステートの市販品アンプはほとんど手放し、真空管かアンプIC等を使った自作アンプだけになってしまった。スピーカーも SS-A5 はとうに手放し、個室用の MonitorAudio Bronze BR1 も今回製作のスピーカーに取って替わられそうで、現用品はALTECやSEAS、Fostex、MarkAudio等で自作したものだけになった。

エピローグ

学生時代にもらった NS-10M だが、あまり使われることなく長らく仕舞っていた。数年前に物置から出して聴いてみると、ノイズもなくいい音が出るのだが、白いコーンに少しシミができていた。この小型スピーカーはモニターとしてあまりにも有名で、音も悪くないとは思うが音楽を聴いていてあまり楽しくないと感じる。対極的に思えるのが Harbeth HL Compact で、若い頃にダイナミックオーディオで試聴したときの感動は今でも忘れられない。解像度が高いとかダイナミックレンジとか、そんなスペックはどうでもよくて、音楽に包み込まれるような音場感の中で奏でられる繊細な響きが心地よかった。

f:id:unison3:20191129070059j:plain

SS-A5 も少しはその傾向があったが、ボーカルは良くてもピアノは変な響きでだめだった(スーパーツィータを加えて少しはまともになったが)。今回の小型スピーカー製作では、Bronze BR1 が中高音は良いがサイズ的に低域が少し硬く、音楽の雰囲気が足りないのを何とかしたかった。不遇のNS-10Mは、また仕舞うのも面倒なので、ユニットやネットワークを取り外し、コーン紙も黒く染めて、いつか自作箱を作ろうとエンクロージャーは捨ててしまった。思い出の半分を捨ててしまうようで少し寂しく思ったが、モノを整理しろとうるさい嫁には逆らえないのだった。(笑)